この度の震災で被災された皆様に心からお見舞い申し上げます。
「いま、わたしになにができるか?」とても重い問いです。まして自分がアートで何か出来るのではないか、と考える事自体がおこがましく、つい無力感に囚われてしまいますが、それ以前にそもそも私は無力なのだから、せめて無力感に負けてはならないと言うところから始めたいと思います。今、最優先されるのは被災者の気持ちです。物資や義援金が届けられる中、同時に私たちが被災者の方々をいつも忘れないでいることが支えになっているのではないかと想像します。震災前と震災後ではもう違う世界なのです。私はつい震災前の日常を考え、早くその秩序を取り戻したいと願いますが、それはこの震災が残したあまりに大きな実情に対しての逃避になってしまうのではないか、家や家族、想い出を失った人々はもう以前の生活には戻れない事を考えると、当たり前に享受していたこれまでの価値観を見直すべきではないか、そしてどれ程長期にわたるか解らない復興に目を向け続け、記憶を風化させてはならないのではないかと強く思うばかりです。わたしは何もできない。しかしそう考える事はできる。そしてアクションに意味を持とうと思うより、アクションを通して少しでもこの現実を受け止め続ける事が大切なのだと。今、自粛ムードが広がっていますが、それが世間体になっているのではと心配します。肝心なのは被災者がその自粛ムードをどう受止めるかではないでしょうか。被災地で大変な思いをしている一方で、わいわいと楽しんでいるとしたら、あまりいい気持ちはしないでしょう。しかし自粛されても余計なお世話だと考えるかも知れません。節電、買占めをしない、心ない風評を無視するといった努力は出来るけれど、今、生きていること自体は事実で、それを抑える必要はまったくなく、むしろ精一杯元気を出す時だと思います。何かを届けたい気持ちと笑顔を持ち続ける、それだけでも何かをしてると言えるのではないでしょうか。被災してない側でも原発事故、計画停電や経済危機など広域な不安が伴って、心が折れかかっている人も少なくなく「がんばれ」と言う言葉が残酷に聞えるかも知れません。それでも今生きているこの事実を真剣に考える時ではないかと思います。たまたま生きている、この地震で痛切に感じました。今までは当たり前に与えられて生きていたのに過ぎません。しかしこの命は、いとも容易く奪い去られてしまう脆く儚いものだと改めて気付かされました。だからこそ尊いとも。そして人との繋がりにどれほど支えられているかわかりません。
「いま、わたしになにができるか?」現在も、そしてこれから先も考えて行きます。
「阪神淡路大震災復興から学ぶ」
日 時:2011年4月2日(土)14:00-16:00
ゲスト:原久子(アートプロデューサー)、永田宏和(NPO法人プラス・アーツ理事長)
参加費:無料(投げ銭制:100%を義援金として寄付致します)
東北地方太平洋沖地震復興支援アートアクション
「いま、わたしになにができるのか?─3331から考える」
http://www.3331.jp/schedule/000896.html